はじめまして、シェアハウス『かのん』の代表の高本です。ここでは『かのん』を開設するまでの経緯をご説明いたします。時は遡り、私が高校生の頃、働き者だった祖母は一生懸命働いて積み上げた貯金と家をあるトラブルによって失い、私の家に居候することになりました。
しばらくの間は平穏でしたが、時間の経過とともに慣れない3世代生活は、各々がストレスを抱え込むようになりました。その後、祖母は親戚の家を転々とするのですが、行く先々でこれまで構築してきた生活パターンを変容しなくてはならないことが互いのストレスになり、負の結果を生みました。最終的に祖母は高齢者施設に入所し、最後までその施設で過ごしました。祖母が人生最後の時を高齢者施設で迎えたことについて、私はこれで本当に良かったのか、他に対応は無かったのか、幸せな最期とはどのようなことかを考えるようになりました。
祖母の高齢者施設入居を機に私は福祉に関心を持ちました。10代後半だった私は福祉のみではなく、医療の知識も身につけたいと思い、進学をして看護師になりました。その後、看護師として10年以上病院勤務をしましたが、2006年にドイツのホスピス研修で転機が訪れました。
マリアフリーデンという長閑な町にあるエイズホスピスで数日間過ごしたのですが、そこでは入居者や看護師、施設長など、誰がどの職種かわからない、ごちゃまぜの状態で皆が一緒に暮らしていました。シスター以外、白衣やユニフォームを着るスタッフはいません。私たちを施設案内してくれたのは、入居者のガブリエラという人物でした。日本では、施設案内といえばほとんどが施設の職員が行いますが、エイズホスピスの家主・主役は入居者であるため、入居者であるガブリエラが施設の案内や説明をしてくれたのです。
一緒に研修に参加した仲間の1人が「日本でも同じような事が出来そうね」と言いました。その言葉を機に「ホームホスピスなごみの家」は誕生しました。私も時々なごみの家に行き、ボランティアとして手伝いをし、また、ホームホスピスをテーマに研究がしたいと進学をしました。その根底には、祖母の件で感じた「最期の時をどこでどう過ごすのか」という思いがあったからです。
祖母は最期の時を高齢者施設で過ごしましたが、最期の時にも出会いがありました。祖母の死を悲しみ涙を流してくれた入居者の仲間がいたことは嬉しく思いました。祖母の最期の時間を過ごした場所とホスピス研修、ホームホスピスの経験と研究結果から、少人数で家族のような関係を構築し、気心知れた仲間たちに見守られながら、最期の日まで生きることができる安心した場所を作れたら良いと思いました。そしてこの度、シェアハウス『かのん』が誕生しました。
シェアハウスかのんが開設するまでにも出会いはありました。シェアハウスの大家さんとの出会い、Fine village元気村の皆様との出会い、一緒に働く仲間との出会い…この出会いを大切にして、これから出会うであろうシェアハウスかのんの仲間たちとともに、ともに暮らしていきたいと思っております。
代表 髙本せい子
